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人生の残り時間を意識した瞬間

2013年5月3日 美人が実践するアンチエイジング美肌術

義兄の闘病生活と死を目の当たりにした時、その瞬間が舞い降りてきました。

 

「誰でもできる健康法」のカテゴリーで書く最初のブログです。誰でも・・・といいながら、このテーマは少し重いかな?とも感じたのですが、健康法を語るうえではどうしても”死”は無視できないと最終的に判断していま書こうとしています。DSC01509生と死は、手のひらの表と裏程度の違いしかなく、同義語みたいなものだと思いませんか?2つセットで完結するものだと思います。

 

義兄は海上保安庁で伝説の男といわれたヘリコプターのパイロットでした。伝説といわれ、プロフェッショナルといわれた、たたき上げの、家族の自慢の義兄でした。そんな男でも病には勝てず昨年51歳で永眠しました。死んだ2か月後・・・国から公共業務に功績のあった人への勲章を賜りました。死後に勲章をいただくのは稀有な例だそうです。

 

余命半年を宣告された義兄は、その残された時間に出来る限りのことをやってのけました。入院中に何万枚もの家族写真のデジカメのデータをチェックして時系列のベスト写真アルバムをつくり、妻と二人の子供に残しました。自分の葬儀のことや諸々の段取りを、家族会議を自ら招集して決めました。悪天候の空を、そして原子力発電所が水素爆発したその時の空を、命を賭して公共のため国のために働いた男をなぜ神様は天に召そうとするのか。この時ほど理不尽さを感じたことはありませんでした。

 

すべての出来事に意味がある・・・と最近よく見たり聞いたりします。ならば義兄の死に果たしてどんな意味があったのだろう。今でも度々考えてしまいます。でも残された義兄の子供たちはこの1年で見違えるような成長を見せてくれています。見た目はあまり変わらなくても、その子たちのちょっとした言動に触れるたび、内面は確かに変わったと感じるのです。キツネが王子様に言う「かんじんなことは、目にみえないんだよ」という言葉をなぜか思い出したりします。

 

22歳のころ、人々の尽きない欲求は「健康」だと考えました。そして健康医療機器の研究の仕事に就きたい思い、私は社会人生活を京都でスタートしました。当時は病院向けの血液分析装置や一般家庭向けの体温計、血圧計、体脂肪計などを新規に開発する技術者中心の研究所でした。健康に役立つ仕事に意義を感じて日本一世界一の商品開発を目指していました。一口に健康といってもとても幅広い領域です。その健康の中でも、いまの私の仕事は女性の肌の美と健康がテーマですが、健康に関するちょっとした気付きや簡単にできるような健康法を自分で検証していいものはこのブログでもご紹介しようと思います(実は今、慢性の腰痛と走ると右ひざが痛くなる症状が出ているので私の体を実験材料にすることができます!)。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

《追記》
生命の誕生や人の生や死や老化には「ミトコンドリア」が大きく関わっているようです。そして不思議なことに私の卒業研究はその「ミトコンドリア」の中の酵素タンパク質がテーマでした。不思議な縁でつながっています。

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